記事一覧

背景、因果を知る

2019.02.06

アイコン

虐待を最後手段としてしまう背景に寄り添う

少し過激な題を付けましたが、今、世の中を揺るがす大問題に、私の学校相談員としての経験、自分の子育てを振り返りながら少し考えたいと思います。

さて、今日お伝えするのは子どもの虐待、DVについてです。野田市で起きた小学4年生女児の死亡事件。死亡の原因は父親からの暴力、虐待でした。さらにその引き金になったと考えられる学校の対応。私の僅かばかりの経験を通してこの事件を見たとき、学校の行為は言語道断と言わざるを得ません。あり得ないと。まず、学校には校長をトップとして、副校長、保健室、担任、学年主任、さらにカウンセラーなども含め、幾重にも張られた網があって、担任だけでは対応できない事案はケースによって様々な組み合わせで組織として対応される。更にその上に教育委員会がある。この仕組みは子どもたちにとってだけでなく、先生や学校にとっても本来"安全網"であり、全国共通の標準仕様ではないかと思います。この仕組みが機能していれば今回の事件は起きなかったかも知れない。

では今回、この仕組みの何が機能しなかったのか。虐待やネグレクトは相談業務の中でも特に慎重さを求められる事案ですし、研修も日常的に行われているはず。一体、何があったのか。関係者には反省以上の誠意で何をすべきだったのか、何がいけなかったのか、見直して欲しいと思います。

さて、学校の対応とは別に、この問題だけでなく、このような事案で気になるのが、DVを蔓延らせてしまう世の中や人の心理です。DVがなぜ世の中からなくならないのか。物事や気持ちの整理の最後の手段として暴力を使ってしまう。その背景に何があるのか。「暴力はいけない」「暴力根絶」と言うだけでは決して解決しない。

子どもは誰でも純粋無垢な存在としてこの世に生まれ、人の手で育てられます。そして、いろいろな環境の中で、いろいろな分岐点を通過して大人になります。環境の中には両親、祖父母、兄弟などの家族や学校や幼稚園の先生、友だち、先輩、後輩などの直接な人間関係以外にも、周りの人間関係の余波を受けたり、さらに経済的なことも含まれます。そんな一切合切を環境として人格が形成されて大人になるのです。

いろいろ解きほぐしが必要ですが、暴力を振るった父親は威圧的な態度で人と接することや、暴力やDVを物事や気持ちを整理する最終手段とする思考回路をどこかで身につけてしまった。
私はそれが一番悲しいと思います。

さらに、もう一つ。就職氷河期、非正規労働など、一部の人に難儀を押し付けて成り立っている世の中のあり様にもメスを入れる必要があるし、逆に言えば、もっと多様な生き方がリスペクトされる世の中にしていかなければ行けないのかも知れないですね。「勝ち組」「負け組」などというイヤな言葉が市民権を得た時代がありましたね。勝ち組でなければ無価値なのでしょうか。ある段階で落ちこぼれると、自分の価値すら見失ってしまう社会。否、否。落ちこぼれるのではない。多様性や個性を否定されることで社会や人生への諦めを生み、自暴自棄や暴力を生む背景となっていないか。

暴力はいけないことです。虐待も言語道断。しかし、悲しい事件の背景にある因果を社会全体の問題として、寄り添って行かなければ悲劇は繰り返す。住みづらい時代になったと言われます。でも、子どもという世の中で一番弱い存在を守れる社会はきっとみんなが住みやすい。私はそう思っています。