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今年初 庭から鶯(ウグイス)の声が
お正月から節分、ひな祭りと季節は移ろい、最近は寒い寒いと言いながら、陽射しや風に、小さな花の蕾の膨らみや木々の芽吹きに、夕暮れの伸びに、少しずつ春の訪れを感じるようになって来ました。一昨日は近所のお庭から漂う梅の花の甘い香りに心がトロける気分に。そして昨日は、ご近所のお庭から鶯の声が。何ともステキな春一番の鳴き声 ?に、さらに心が華やぎました。
鶯は「春告鳥(はるつげどり)」とも呼ばれ、古くから日本人は、鶯の「ホーホケキョ」という囀(さえず)りによって春の訪れを感じてきました。この鳴き声は気象庁の季節前線の一つとなっているそうです。わが家ではここ数年、毎年ご近所から鶯の声が聞こえて来ます。梅に鶯。赤よろし。花札の絵柄にもあるように日本の愛すべき風情ですね。
昨年は田舎の豊かさの自慢も含め、「鶯の声が聞こえた」と東京の娘に。そうしたら「ウチの近所でも鳴いているよー」との返事…。悔しかったですねー。確かに、鶯が日本のあちこちに棲息していることは嬉しい。しかしながら、またしても“東京"の懐の深さを目の当たりに。悔しい。田舎のオハコまで総取りかいと。(因みに、昨年は孫が東京の住まい近くの小さな公園でカブトムシやクワガタを複数get。これにもたまげました)
確かに、「鶯谷」の地名が示すように江戸の頃から東京は鶯の棲息地だったんです。娘の住まいは東京の市部ではありますが、まだまだ大都市東京には豊かな自然が生き残っています。
この東京の懐の深さ。認めざるを得ないですが、これは恐らく東京の街づくり、中でも土地活用の成せる結晶と推測します。一方、わが町はどうか。幸手市は市域の大半が農地です。その農地を住宅地に変えながら時代の要請に応えて来た街づくりの歴史があります。が、今後の人口減少や移住定住政策を考える時、幸手は都会力を磨くのか、田舎力を磨くのか。資源を集中して何に勝負をかけていくのか。あれもこれもで全て中途半端な町にしてはいけない。あれはあるがこれはない。でもあれが好きという方にどれだけ振り向いていただけるか。そんな街づくりは、どうとんがるか=自治体間で競う前に、何をブラッシュアップしていくか。これを決めることがスタートです。
私は“農の緑“が大好きで幸手市に引っ越して来ました。農業が作り出す自然は人が作り上げた人工環境ですが、私の瞼には、元々、レンゲやツクシや稲田の色彩が織りなす四季折々の原風景あり。人の営みが作り出す自然を愛してきた歴史があります。そして、手植えの田植えや鎌による稲刈りを見てきて思うのは、農の自然は人が主人公でなければ成り立たないということ。私は、幸手の農の自然は失いたくありません。そのためには農家の皆さんの営みが成り立たなければこの環境は守れないということです。東京のベッドタウンとしての街づくりを長年続けて来て、多様な人が住む幸手市。東京に1時間で行ける便利さ?「田舎力」のブラッシュアップが重要です。
幸手市の豊かな農環境を守る。これは幸手市の大半の土地が農地であることからも街づくりのベースです。国にとっても食糧自給は安全保障の要であり、大都市の近郊にあって「農の緑」 =農地を守ることは、農業が基幹産業である幸手市の生き道でもあり。耕作放棄地問題、後継者問題も含め、農を守り安全な食糧の供給基地となることは決して的外れな目標ではないと私は考えます。皆さまはいかがでしょう。
♥ 話しは鶯から街づくりに飛躍して 。
何でも街づくりに紐づけてしまう“職業病“とご容赦ください。また、農を大切にする街づくりの考え方。皆さまに共感はいただけるでしょうか。皆さまには幸手市の産物の応援団として、消費者としてご協力をいただければなお幸いです。これからも地場産の野菜のご利用を是非よろしくお願いします。
♥♥ さて、普段は警戒心の強い鳥が大きな声で鳴くのは縄張りの主張が求愛の時。どこから来ているのか。どこに住んでいるのか。愛の巣はどこに…。小さな体で自然と向き合って生きる野生の動物たち。毎年声は聞こえど姿は見たことがありませんが、季節の繰り返しを気づかせてくれる春告鳥。来年も再来年もこの声が聞こえて来ますように
幸手に棲む万物に幸あれ??
♥♥♥力が入ってしまいました。長文ご容赦あれ。