2022.07.06
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ついに限界 実家の庭木伐採
私ごとの雑感です。私の老親が京都に住んでいることは皆さまにも公開して来ました。その母が施設に入居し、愛知に住む兄が月に一度、車で往来して実家のお世話をしてくれていましたが、月一回の訪問では庭木の手入れに手が回らずご近所に迷惑をかけてしまう。もはや維持は限界。
先月、兄から庭木を伐採する手配ができたと連絡があり、昨日、その作業が済んだと写真が送られて来ました。実家を継ぐことなく他所に住まい、父や母が大事にしていたものを処分するということが如何に心苦しいことか。身に沁みる反面、維持できないものは維持できないと淡々と、今必要なことと割り切って対処してくれる兄には感謝の思いも。
長女にも知らせました。幼い頃から帰省の度に父や母(娘には祖父母)が庭木を手入れする姿を見て来た娘にもショックな知らせとなったようです。財産のありようは人それぞれですが、娘や息子が家を継ぐ可能性が限りなくゼロに近いのはわが家も同様。娘には、仕方ないことは仕方ないと淡々と対処していいと伝えました。
それでもまだ空き家や空き地が循環する地域はまだしも。東京圏や都市部に集中する人口と裏腹に過疎が進む地方の問題はさらに深い。職業や居住選択の自由が憲法で保障され、戦後の持ち家政策、核家族化を突き進んで来た日本。その果てに人口偏在、財産を持ちたがらない若者志向など時代は変化。どう乗り越えるか。実家の庭木伐採で身につまされた問題は、私たち世代の喉元に突きつけられた大きな課題です。