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道徳教科化を18年度に延期
9/30埼玉新聞2面の気になる記事第5弾は、文科省が道徳の教科化を18年度に延期したという記事です。
文科省は、早ければ来年度からの実施を目指していた小中学校の道徳の教科化について、2018年度からに先延ばしする方針を決めた。教科書の作成から使用までに3年程度かかるためで、児童生徒の評価も教科になった後となる。
というものです。
道徳の教科化は、政府の教育再生実行会議が昨年2月に提言。文科省の有識者会議は、教科化した上で検定教科書や評価を導入するよう求める報告書をまとめています。
日本人のよい行動については、例えば、海外に進出する企業が時間や納期を厳守する姿、日本のモノづくりの”心”、3.11大震災の際の沈着冷静な態度、スポーツ観戦後のごみ拾いなどなど、上げる枚挙の暇なし。このような日本人の在り方はどこで醸成されているのか。また、反対に「熱しやすく冷めやすい」「のど元過ぎれば熱さ忘れる」「横並び」などなど、民族性の不の部分も少なくはありませんが、これはどこから?
道徳の教科化に際しては、宗教が国全体を網羅する道徳となり得ない日本で、一体何がどのように作用して日本人の道徳心が醸成されているのかを多角的にしっかりと検証していただきたいと思います。
文科省のHPを見ると、道徳教育とは「児童生徒が生命を大切にする心や他人を思いやる心、善悪の判断などの規範意識等の道徳性を身に付けることが重要」と書かれています。
そこで気になるのは、「道徳」に対する評価がどのようなものになるのかということ。数値ではなく、記述式となることはほぼ決まっているようですが、先のブログでもお伝えしたように、「評価」というのは合理性を保つのは非常に難しく、特に「数値化されない評価」は評価者の意向が反映されやすくなることも。また、「道徳心」という、気質などにも大きく由来することを学校教育という範囲で評価していいのか。
学校での「評価」は受験など次の「ステップ」として活用されるものであることも考えると、特に義務教育、高校教育で道徳やボランティアに「評価」を与えるというのは、私にはしっくりこない考え方です。道徳的行動、ボランタリーな行動が評価されることは大事なことですが、評価のための行為には注意や悟りを提供できることこそ「道徳教育」の大事な要素であり、そのような態度を評価者が身に着けることも同時に重要と考えます。いかがでしょうか。
♥昨日から5連発で新聞記事を取り上げました。お読みいただいて有難うございます。国政や民間など、市議会議員では手の出せないことも多いですが、こうして文章を書くことで自分の思考もまとまり、また、今、私たちが生きている世の中のしくみを再認識することもできるかなと思っています。私の考えがおかしいよ、こんな見方もあるよと思われる方は是非、お知らせくださいませ。
今日から10月。今年度も半分が過ぎました。早いですね