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身内が2人、入院。”てんてこ舞い”の一週間でした
3月議会が18日に閉会し、ほっとしたのもつかの間、ムスメから「下の子が突然入院することになった」と連絡が。先週は議会は終っていたのですが、小学校の卒業式を始め、欠席できない諸事忙しく、さらに郷里で入院中の母の見舞いなども含め、自宅、東京、京都を行ったり来たり、文字通り、”てんてこ舞い”の一週間を過ごしておりました。そんなことでブログの発信が途絶えて申し訳ありませんでした。
今回、図らずも子どもの入院、高齢者(遠距離)の入院という2つの事情を通して、改めて私たちの生活を考える機会となりました。以前にも書きましたが、病気や介護など社会保障や保険制度は「その時」になって初めて、自分がどんな「環境(人的にも機会的にも社会的にも地域的にも)」にいるのかを実感することが多いのではないでしょうか。
孫の入院では、東京の地の利か、比較的自宅の近くで小児病棟の整った大学病院にすぐ繋がれたのは本当に有難かったです。入院点滴治療のお蔭か一週間で無事退院することができました。さらに、今回有難かったのは、上の子が保育園に通っていたことです。今、認可外保育所に通わせているのですが、昼間子どもを預けられる環境がなかったら、私たち家族はサポートしきれなかったと思います。
ちなみに、今、「保育園落ちた」との母親のブログをきっかけに、子どもが認可保育園に入れない問題が大きくクローズアップされ、安倍政権への批判の声が聞こえてきますが、これは安倍政権の問題というよりは、私は経済界が従業員の福利厚生の一環として対応した方が解決が早いのではないかと思うのですよ。経団連や商工会議所、商工会など地域の経済に関わる機関が土地や保育室の手配をし、保育士の育成は短大や大学に任せるにしても、復職保育士の再教育などは「雇用」として関与することで地域事情にマッチした整備・人員配置ができるのではないかと思うのです。一部の上場企業には企業内保育がありますが、子どもの生活を考えると、できるだけ地元で子どもを預けることができた方が親にも子にも負担が小さいのでは。経団連や商工会など全国に会員がいる組織が地域展開することで運営に互換性が生まれ、利用者がいろいろな関係性を考慮し保育所を選べるなど利便性にも配慮できるのではと思うのですが、いかがでしょう。
私たちも歩いて20分程度のところにある保育園だから何とか登園やお迎えのサポートができました。登園やお迎えをサポートしてもらう制度もありますが、子どもとて一個の人格を持った存在であり、十分な慣らしの無い中で闇雲に順応しろと言うのはめちゃな話し。やはり、制度や仕組みで届かないところは家族がきめ細かにサポートに頑張るしかない。そういう意味では、私たちじいじ、ばあばの出番は今後も続きそうです。
さて、今年85歳を迎える母について。2月下旬に別の病院で膝の手術を受け、今は、実家の近所の病院に移ってリハビリ中です。名古屋の兄が母の入院やその他の用事で比較的頻繁に戻れるのが遠距離にいて安心材料です。
母を見ていると、「住み慣れた地域」がいかに大事かがわかります。大部屋で、奇遇にも父と同じ在所の出身という話好きな女性が隣りのベッドだったり、近隣に住む母の兄弟が時おり見舞いに来てくれたり。性格によっては大部屋は苦痛という方もおられるかも知れませんが、孤独は良くないです。昼間、誰とも話さないというのもあまり続くと問題です。母の場合、もともと社交的なところもあり、病室内のコミュニティには溶け込んでいそうで取り敢えずほっとしています。
高齢者の問題は退院後の生活です。母にとっても介護保険による生活介助なしに生活はありません。また、デイサービスの利用は精神衛生上必要不可欠です。退院してもサービスは継続して利用できるのか。
幸手市でも、すべてが親戚や身内を頼れる人ばかりではありません。個々人の生活スタイルもまちまちです。公的サービスは今や選べる環境が整えられつつありますが、私たちにはその仕組みを理解し、「契約」を通して自らの責任で制度を上手に使っていくことが求められています。
老いも若きも、住み慣れた地域で安心して暮らすための条件を上手に整えることは言葉でいう以上に大変なことですよ。”宛がい物”とならない人生の選択ができるように、何もないときから意識して整えていくことが肝要ですね。