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人生の選択肢の多様性を担保するしくみとして
昨日の朝日新聞に、憲法を改正して幼児から大学までの教育を無償化するという案が改憲項目として自民党内で浮上している、との記事がありました。改憲が必要か否かという観点とは別に、教育とは何かについて、このブログで改めて考えてみたいと思います。
まず、私は憲法や教育の専門家ではありませんので、自分の人生を通して感じた”皮膚感覚”での考察となることをお許しいただき、こんな考え方もあるという一例として読んでいただければと思います。
朝日新聞によると、改憲による無償化を正面から主張しているのは日本維新の会で、国会でも「憲法に規定し安定した制度として実現を」と訴え、安倍首相も「傾聴に値する」と応じているということです。保護者の所得や地域などで大学進学率の格差が拡大している現実があり、改憲で無償化が実現すれば、経済的理由により進学を断念するケースは減り、多くの国民が歓迎するという計算が背景にあると。
格差拡大の大きな原因の1つとして、欧州では教育費負担にも福祉国家的発想があるのに対し、東アジアでは学費は親が工面をするという社会的風土が強いことがあり、日本では高等教育費の家計による負担割合が5割以上と、欧州連合の公費負担約2割と比べて大きくなっているとする専門家の分析が紹介されています。
憲法との関係では、現行憲法の26条が「すべての国民に、能力に応じてひとしく教育を受ける権利」を規定している現状、憲法を改正する必要はないとの意見もあるようです。私も改憲の是非はよく分かりませんが、しかし、憲法を変える前に、現状の”能力に応じてひとしく教育を受ける権利”について国民を巻き込んで深く考察してみる必要があるのではないかと感じます。
”能力”とは何か。”能力に応じる”とはどういうことか。”ひとしく”とは。そもそも”教育”とは。”ひとしく教育を受ける権利”とはどういうことか。などなど・・・。
教育の無償化の目的として、「どんなに貧しい家庭に育っても進学できる日本」という将来像も語られているようです。確かに、幼児教育と義務教育の9年間、そして高等学校の3年間は等しく教育を受ける権利として無償化も必要ではないかと私も感じますが、「進学」が大学進学を指すのであれば、それは奨学金制度でも対応できるのではないかと思うのですが。
確かに、一流の高等教育を受ける権利が迫害されたり、失われることは絶対にあってはならないことだと思いますし、技術革新の早さについて行くには高等教育での治験・知見の積み重ねが重要と思います。しかし、国が「教育の目的」として考えるべきは個々の「能力に応じる=能力開発」への寄与であり、最終学歴を大学卒とすることではないと思います。
昨年、選挙年齢が18歳に下げられました。18歳は大人として扱われるようになったばかりです。私は、教育の無償化は高等学校まで。その後は自分の人生設計のなかで進学か就職かを選択をしていく。このような環境が大事ではないかと思います(ただし、いつでも誰にでも高等教育の門戸が開かれていること、社会人の学びの機会が多様に提供されていることは必須)。
そのためには高等学校までの義務教育で一定の教養を身に着け、大学進学という選択肢以外に、日本の風土が育んできた伝統技術の伝承や日本のものづくりの多様性を支える職人集団の育成も範疇とする「機会の多様性」が高等学校卒業までの間に担保されるような教育システムが構築されるべきではないかと思うのですが。小学生や中学生、そして高校生が学校とは別に塾に通う姿や反対に基礎学力の取得に多くの労力と時間を費やしている現在の教育の在り方は今、変革の時期を迎えているのではないでしょうか。最近の「ニッポン賛美」型のTVに影響されすぎてますかね(笑)。
しかし、日本のように四季折々の季節をめでることのできる国も世界では多くないでしょう。日本型のホスピタリティや技術が世界で賞賛されているのは事実だと思います。日本の風土を大切にできる日本人の育成が義務教育でしっかり担保され、高等学校では義務教育を基礎として本人の能力や特性にあわせた多様な専門性のある教育の機会が用意される。そして、18歳ではさらに高度な教育を受ける機会としての進学と、多様な就職の機会が用意されている。そんな未来図はいかがでしょう。
そのために何より大事なのは最終学歴を賃金格差にしない雇用制度の確立です。私は高等学校卒業という学歴をもっと豊かに活用していくべきと考えます。大卒と高卒で初任給も、場合によっては昇給制度も、生涯賃金も違うという、「最終学歴での賃金格差」には本格的にメスを入れるべき時代になっているのでは。大学の予備校的高等学校の存在を包含するとしても、大卒と高卒の給与格差がなくなれば、もっといろいろな選択肢が広がるのではないでしょうか。
最終学歴を大学卒とすることで、個人の持つ多様性にタガをはめてきたのが今までの教育です。先にも述べましたが、選挙年齢が18歳に下げられたことで18歳は大人として扱われるようになったばかりです。18歳を「大人」として扱うなら、18歳で人生の設計ができるくらいの知識や能力を持たせる教育を目指すべきです。
今回の考察の結論としてこんなまとめと相成りました。
①18歳までの教育は無償化し、
②大学に進学する場合は奨学金制度で。
③最終学歴による賃金格差を解消し、人生の選択肢の多様性を担保。
とにかく、これからは「多様性」です。ひとしい=平等の意味も再検証する。初めに述べましたが、「能力」「能力に応じる」「ひとしい」「ひとしい教育」とは何かを専門家を含め日本国民全体で考えていくことが必要ではないでしょうか。
以上、私の”皮膚感覚”での発想で稚拙な考察をしてみました。いろいろな考え方があると思います。働き方改革や同一労働同一賃金を求める声も高まっています。さらに、総合学習の導入等、画一的教育からの脱皮が図られてきた教育の経緯もあります。さらに18歳選挙権付与で18歳の責任は変わりました。
人生のセンパイである皆さまの目には、「教育の無償化」はどのように映っていますか。幼児から高等教育まですべてを無償にするならば、4兆円を超えるという財政シュミレーションだそうです。
皆さまのお考えを是非、お聞かせいただけたらと思う次第であります。
♥いつも長文で申し訳ございません。