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衆院憲法審査会 公聴会開かれる
4月21日 朝日新聞より
衆院憲法審査会が20日、「国と地方のあり方」をテーマに4人の参考人から意見を聞き、自治体のあり方や沖縄基地問題、国会に地域代表制を設ける是非などを議論した。というニュース。長文を何本も更新して申し訳ございませんが、気になるニュースです。よろしくご高覧のほどお願いいたします。
情報には必ず送り手の意図がありますので、紙面がどのような観点から発信されているのかには気を付けないといけないワケですが、朝日新聞のまとめを参考に少し考えてみたいと思います。
参考人として呼ばれた教授の選考基準等はわかりませんが、以下は4人の教授のご意見の抜粋です。
明大教授
「もはや国民の意思決定は国会に一元化できない。国民主権の地域的な行使の場として地方自治を考えることが大事だ・・・」
沖縄大客員教授
「地方自治の原則に照らせば、沖縄の民意を尊重して基地建設を断念するのが憲法のもとにある政府がなすべき当然の選択だ・・・」
東京大大学院教授
「国の立法権による過度の介入を防ぐため、地方自治法の『国と地方自治体との適切な役割分担』の内容を憲法レベルで規定する。現在、地域の課題に対応すべき自治体や、その連携のあり方では多様性が重要だと多く指摘されているのに、憲法上、議員と首長はそれぞれ直接公選で選ばれるという一律の組織体制が養成されている。多様な民意の反映と集約の視点から、首長を議会で選出する可能性も模索すべきではないか」
中央大教授
「『地方自治の本旨』を法律に委ねるのではなく明確に憲法に書いたらどうか。地方自治権、住民監視権などを明示したらどうか。現行憲法は国と地方の役割分担について何も書いていない。人口減少時代に財政の効率性から考えても、道州制以降を本格的に検討すべき段階ではないか。大都市や樹ぞ自治体を基礎に置く新たな州の創造というイメージを作る必要がある」
・・・は私が割愛いたしました。大学教授のご意見を見て、僭越ながら、これは素晴らしいと思える論点を見つけることはできませんでした。
国民の意思決定が国会に一元化できないという認識。地域の主権がどのような範囲を指すのか詳しいことはわかりませんが、教授が唱える、自民党改憲草案が「地方自治を住民に身近な自主行政に限定する意図が明確であり疑問が残る」とする疑義。これには自民党議員からも反論する主張があったということですが、私も教授の発想には賛成しかねますね。
また、沖縄の基地問題はとても難しい面があると思いますし、負担の軽減は考えていかなければならないことではありますが、地政学的な観点などはどのように整理されているのか。
また、首長を議会から選出するというのも突飛過ぎて、今のところ私は容認はできません。
道州制に対しては、私も幸手市の財政規模で大きな事業を進めるのは余程の覚悟が必要であることを、駅舎事業等を題材に市政に進言してきた立場です。合併が十分進んでいない中で、財政規模の小さな自治体の財政運営が厳しいとの問題意識は共有するもので、検討の余地はあるのかなと思います。しかし、実際には広域連合という手法により、複数の自治体が合併には至らずとも共同して事務を行っているということも増えています。道州制のイメージや教授の発言の真意を、私も今後研究してみたいと思います。
実は、私が理想としているのは江戸時代の「藩制」です。徳川幕府という「天下=国家」があり、天下を治める者が「租」「調」「庸」を課す。地方は「藩・国」として地域を治める。律令制の昔から国家という概念はあったし、その概念を手放したら国の体はなくなるでしょう。世界が植民地時代に日本が諸外国の支配から免れたのは、江戸幕府の鎖国政策などが日本全体に行き渡っていたからです。日本が国家としてあり続けるなら、地域がバラバラになるような方向性はNGです。
また、各藩は自立を求められていました。だからこそ、今でいう伝統工芸や文化が奨励され、地域の特徴を活かす殖産産業が盛んとなった。そして藩政を潤した。今のように地域経済が自立的に成り立たなくても地方交付税がもらえる的発想では新しいものは生まれません。では、国税の地方への分配率を高めれば地方の自立的自治が進むかというと私は懐疑的です。ポピュリズムに屈しない余程のリーダーが表れれば別ですが。
時代は刻々変化していますが、私の理想は江戸時代にあります。大学の教授は論文等で新しいことを発表するのがお仕事でしょうが、私は「歴史に学ぶ」べきは学ぶという態度が肝要と考えます。よその国との比較も大事ですが、まずは「温故知新」ですね。日本は千年以上続いている国家ですから。
衆院憲法審査会の開催はスケジュールが遅れているということのようですが、様々な意見を聴取して、国会によって間違いのない日本の将来像が描かれることを祈念するとともに、私たちは「国民の意思決定」に国会議員を選ぶことで関与できることを忘れてはなりません。そして、政府や政治にコミットできる手段も多様に用意されているのです。選挙の投票率が年々悪化していることは由々しきことであり、私たちは1票の権利を放棄しないこと、そして、公的に開かれた手段や手続きを”伝家の宝刀”にしない。
これが何より大事ではないかと思う次第であります。長々とすみません。皆さまはいかがお考えでしょう。