記事一覧

ついにここまで来たか

2017.11.16

アイコン

宿題代行 横行に教師困惑

 11月16日日経新聞夕刊より。驚きのニュースです。ここまで来ているのかとある意味ショックを禁じ得ません。

 記事の内容ですが、子どもの宿題や自由研究などを請け負う代行業者が横行している。保護者には「宿題を外注して受験勉強に集中させたい」との思惑があるが、学校現場は「見破る方法がなく注意できない」「子どものためにならない」と戸惑う。文科省も業者の存在を認識しているが、宿題は各教師の裁量に委ねられており、介入しづらいのが実情だ、というもの。

 ある請負の女性の場合、料金の目安は、交通安全のポスター作製が1件1万5千円。作文執筆が400字につき3千円。依頼者の多くは中学受験や夏休みの短期留学で「子どもが宿題をこなす余裕がない」という保護者。もしくは子どもが内緒で電話をかけてくるケースもあるという。

 公立小学校教諭は「宿題は本来、子どもの学力向上や学習習慣をつけるためのもの。大人がやってしまえば伸びるチャンスを奪うことになり、忍耐強さも身に付かない」と語る。文科省教育課程課によると、宿題は学習指導要領に記載がなく、各教師の裁量に任されているという。同課の担当者は「宿題の意図は学校や教師によって異なる。子どもが自分で取り組むことの大切さを教師がしっかり説明して理解してもらうしかない」と話しているというのですが。

 私も「ここまで来たか」と思う反面、夏休みの自由研究で苦労した親としては「さもありなん」と思う気持ちも。

 ただ、この問題は別の角度から見ると、実は「宿題の出し方」や「宿題の意図」にも改善しなければ、あるいは工夫しなければいけない要素があるのではないかと感じます。
 中学受験をしようという子どもたちの親の必至感が伝わってくると同時に、その子どもたちが忍耐力を身に付けるのは塾であったり、留学であったり。もはや、学校の宿題ではないということを認めざるを得ない状況もあるのかなあと思ってみたり。そして、伸びるチャンスも他にある。子どもが自分で取り組むことの大切さを感じるレベルと、宿題のレベルがあっていないということはないか。学習習慣も学校の宿題以上に身に着ける場があるということではないか。これらは検証すべき要素ですね。

 学校で一律に出される宿題が彼らのやる気を向上させるモチベーションにはならないということ。私は決してこのような方法を容認しているのではありませんし、このような方法がまかり通ることを経験することは子どもの人間性に大きな影響を、しかも負の影響を与えるのではないかとの懸念を大いに感じます。

 しかし、このような子どもたちを”学校の宿題”に連れ沿わせることは不可能では。彼らは学校の宿題で伸びる必要のない子たちなのです。親も塾の宿題は代行になど任せていないはずです。ならば、もう学校に行かなければいいではないか、という過激な発想も生まれてくるかもしれませんが、やはり子どもたちにとって学校が大事なところですよね。難しいです。

 何度も申し上げますが、私はこのような保護者の選択はよいとは思いません。しかし、今、これだけ世の中が変化している中で漫然と昔と同じ宿題を出していてもダメかもしれないということです。いやー、ぼやぼやしていられない。時代は大きく変わっている。そのことを実感させられる記事でありました。もう一度申し上げます。私はこのような方法を容認はしていません。反対に、こんな選択をするなら、いっそ、やっていかないという選択の方が潔いと感じるところです(もちろん、学校の許容範囲を今は逸脱していますが…)。
 少し過激な発言となってしまいましたが、子どもたちにはウソをついて人を欺くようなことを教えたくないですね。世の中きれいごとだけでできている訳ではありませんが、それにしても、目的のためなら手段を択ばないということを経験するにはまだあまりに早過ぎます。
 さて、皆さまはいかがお考えですか。