2022.06.09

梅雨空の下 わが家では今年はカシワバアジサイがたくさんの花をつけています
カシワバアジサイだけでなく、アジサイはコンパクトな樹形にしようとすると剪定で花芽を切ってしまうなど、毎年咲き方にムラがあるのですが、今年のわが家のカシワバアジサイは純白な花房をたくさんつけて見る者を楽しませてくれています。
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土すれすれに咲いた一房を切り花瓶に差し、改めて、その造形の美しさに見惚れています。純白な花びらの重なりの何と美しいこと。カシワバアジサイはこれからこの純白の花びらが黄緑になり赤くなり、最期は茶色く枯れていきます。そして、秋には葉っぱも紅葉し落葉。そして来年、また新しいサイクルが始まる。自然の摂理は残酷で美しく潔い。
私たちも自然の一部であり、若い世代を育みながらいかに老いていくか。これは今の私の人生最大のテーマです。あまりに変化の激しい世の中。若い人には時代の遺物としか見えない言動もあるかも知れない。ロートルの私たちが背中で見せる生き様は、若い人たちの教師たるや反面教師たるや…。
一律、一斉に慣れた世代と個別最適を求める&求められる世代では物事の捉え方が違うのは当然ですし、同じ世代でも生き方や価値観のバラつきはある。しかし、日本という自由の国で、この自由を不自由にしないためには、様々な価値観の人が時に立ち止まり、時にゆっくりと、カラダやココロを縛る鎧を脱いで、いろいろなことを語り合う。そんな時間が大切だなあとつくづく。
若い人には、日本の先人が育んできた思考や風習の良いところを継承し、殺伐&行き過ぎた貨幣経済を突き走る国際社会に翻弄されることなく、人類普遍の人権と平和の在り方を指し示す“灯台“のような役割を果たしてほしいと心から切望します。そして、そのような若い人たちの敷石となれたら…。非力は承知で、これが今の私の原動力です。
♥ブレイクタイムのつもりで始めたブログですが、なんだか私の人生論のようになってしまって恐縮です。しかし、人生の折り返し点を通過してから数年を経て、これまで平和だと思っていた舞台裏のパワーゲームの熾烈さ、残忍さや、おもちゃ箱をひっくり返したような混乱、非人道的な振る舞いを現実のものとして目の前にして、わが身の平和ボケした来し方、近視眼的発想では治らない世の中の無秩序、破廉恥さなどの底抜け感を強く意識することが多くなりました。皆さまはいかがでしょう。
♥♥NHK夜ドラ「17歳の帝国」に見る近未来の実験都市ウーアでは、残念ながら復活ならなかった市議会ですが、代表制民主主義の一翼として私に与えられた役割を果たせるよう、これからも市民生活や社会の仕組みにフォーカスして「誰も取り残さない」社会づくりに努力して行きたいと改めて思う次第です。
私が思う「誰も取り残さない」とは。「皆さまのやりたいことが実現する社会」という意味です。もちろん、憲法や法律の範囲ですが、まずは皆さまのやりたいこと、思いがあり、実現の方策を考える。手を後ろに組んで「次は何を与えてくれるのか」と待つ時代は終わりました。皆さまにはこれからもいろいろなお立場でご意見、ご指導を賜りますよう心よりお願いいたします。
♥♥♥長々と失礼しました。お付き合いありがとうございます。