記事一覧

教科書のページが増えると

2018.06.15

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重くなる教科書 「置き勉」容認の時代に? 千葉・流山市配慮事項まとめる

 日本教育新聞一面から

 今日、送付されてきた日本教育新聞1面、3面に上記記事が載っていました。「置き勉」なんて、なつかしい響きですね~。もしかして、読者の皆さまの中には中学生になると、薄い薄い学生かばんで通学していたなんて方もおられるのでは(笑)。この記事は流山市の校長会が昨年10月に「小中学生の荷物の重量化に伴う対策」をまとめたというものです。まとめのなかでは、教科書を学校に置いたまま下校することの是非には触れず、「荷物の重量化は健康面ばかりではなく安全面でも配慮が必要」として、各学校の判断として
 ①計画的に荷物を持ってこさせる
 ②計画的に荷物を持ち帰らせる
などの指導を掲げているというのですが。

 なんか当たり前のような…。しかし、近年は学習内容の増加に伴い教科書のページ数が増えているほか、道徳・小学校英語などの新教科の創設により、教科書・教材そのものが増えているので、最近のランドセルは以前に比べて軽くなっているが、それでも教科書やノート、ドリル、文房具を詰め込むとかなりの重さになるらしいです。さらに、学校帰りに民間のスポーツクラブに行く子はその道具を持って登校することになる。そのような環境から、児童・生徒の通学に過度な負担をかけないよう「置き勉」の在り方を再考する動きが出ているというのです。
 いやはや、学校も子どもたちも大変なんですねえ。教科書のページが増えるということはこんな問題も。

 この記事の中で取り上げている小学4年生の女児の例では、以前はランドセルの肩当て部分の痕跡が皮膚に残るほどの重さだったが、少しは軽くなったということです。この女児の場合、国語や算数の宿題やドリルは教科書無しでもこなすらしく、「宿題があまり出ない教科の教科書くらいは自分の机の中に置いて帰らせてほしい」と願っているというのですが。
 実は、この女児の母親が流山市議会議員で、議会でこの問題を取り上げようと考えていたら、さらにもう一人、中学生の荷物の多さに同じく問題意識を持つ市議会議員と2人が組んで市民の声を集めたということ。市民の声には、荷物の重さを問題だと捉えている市民は少なくなかったが、同時に「子どもを甘やかすべきではない」との声も根強かったということ。小学生では学年が下になるほど、何を持ちかえればいいか、判断の難しさもありますね。

 流山市では教科書を学校に置いたまま下校することをほぼ認めていないという現実もあるようで、確かに、親として、荷物を持って帰らせたり持ってこさせたりを学校に決めてほしいというのも分からないでもなし。ただ、校長会のまとめはなんか玉虫色というか、日常的指導の範疇というか。こんなことも決めなければいけない現状ってどんだけ、という気もします。
 以下に日本教育新聞に載っていた配慮事項を記載します。何かご感想がありましたらお知らせください。

  【千葉・流山市の校長会がまとめた「配慮項目」(H29.10.4)】
 荷物の重量化は児童・生徒の健康面ばかりでなく、安全面においても配慮が必要であると考える。児童・生徒の発達段階を考慮し、次の内容を流山市立各小中学校での共通配慮事項とした。

 1.荷物の重量化を防ぐため計画的な指導をする
  ア 計画的にみ野津を見ってこさせる指導
  イ 計画的に荷物を持ち帰らせる指導
  ウ 児童・生徒の下校時の観察、声かけ

 2.学校に置いておけるものが他にないか、学校の状況に応じ検討する
  エ 家庭学習に支障がない資料や道具箱

 

感動の春季運動会

2018.05.20

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感動&元気をありがとう!

 昨日は市内小学校各所において春季運動会が開催されました。私は、近隣の長倉小学校にお邪魔し、一日観戦してまいりました。

 ファイル 1040-1.jpg 朝はまだ雨が残り心配しましたが、開会後は晴天&晴天&晴天。本当に素晴らしい五月晴れとなり、赤白ともに力いっぱいの演技が繰り広げられました。まだ入学してから2か月経たない1年生、最高学年となって初めての大仕事となった6年生を始め、どの学年も一致団結して一生懸命頑張っている姿に感動と元気をもらった一日でした。

 今年は新しい試みとして、地域の自治会からお借りしたテントが子どもたちの席の上にかけられていました。最後の講評では、校長先生からテントのおかげで救護が必要な子どもたちが例年より少なかったとのことでありました。子どもたちも熱さにうだることなく演技に集中できたことでしょう。地域の皆さまありがとうございました。

 本当に感動満載の運動会で、徒競走、表現種目、5・6年生の組体操など熱戦の数々をお見せしたいのは山々成れど、写真の公開には難しい部分もありますので、取り敢えず、好天気の下、運動会が開催されたという事実のみを写したものを一枚。子どもたち&先生方の一体感や頑張りをお見せできないのは本当に残念なのですが…。子どもたち、先生方&応援の皆さま本当にお疲れ様でした。
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埼玉県で育つ子どもたちに幸あれ!

2017.12.21

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埼玉県教育委員会 家庭教育を支える事例集発刊から考える

 核家族化やひとり親世帯の増加によって、子育てで孤立しがちな保護者の教育力向上に向け、県が独自の「家庭学習支援プログラム集」を新たに作成し、本年度から各地で行う「親の学習」講座で活用。好評を得ている、という埼玉新聞の記事より。

 県は、家庭の教育力の低下などを受け、子育てに必要な知識やスキルを盛り込んだプログラム集を2007年度に初めて作成。12年度には増補版を発刊し、その後、15年度に実施した埼玉県学力・学習状況調査で「家庭での生活習慣や家族との触れ合いが、子どもの学習意欲に深くかかわっている」ことが判明。今回のプログラム集はその調査結果を踏まえ、家庭で保護者が「子どもの学習意欲を高めること」を主眼に置いて作成をし、親の学習講座でファシリテーター(進行・指導役)に活用されているという。
 内容は「子どものやる気を引き出すにはどうしたらいいのか」に特化し、子どもへの声掛けや答え方を具体的に例示しているのが特徴。小松弥生教育長は「このプログラムを活用し、保護者に子どもたちの努力や学ぶ姿勢を認めることの大切さを理解してほしい」と呼びかけている、ということです。

 最近は核家族化というだけでなく、世の中のデジタル高度化などもあって、子育て環境はますますが難しくなっていると感じます。私も2人の子どもを育てましたが、今よりアナログな環境であっても子どもの要望にどう向き合うか。葛藤でした。さらに、姉弟という立場の違いや個性など様々な要素を含め、同じ事がらに対して同じ声掛けが通用するかというとそうはいかない。正に苦悩の連続でした(笑)。 

 中でも難しかったのは勉強への取り組ませ方です。今思えば、学習意欲というのは、自分が「コレ」と思うことにまい進していけるチカラなのかなあと思えますが、当時は「勉強をやらせること」に汲々していた感があります。絶えず「勉強、勉強」と言ってバトルを生みだしていた(笑)。「子どもが言うことを聞かない」と悩んだ時期もありました。今ではあのような未熟な親の言いなりにならなかった子どもに感謝してます(苦笑)。仮に言うことを聞いていたら彼らをつぶしていたかも(失笑)。苛烈な反発を食らったことで助かった…(涙)。

 改めて考えるに、子どもは関心のあることには夢中になりますね。いたずらをしている子どもがいきいきしているのがその証左です(笑)。この「夢中になる」という環境をどう整えていくか。の別くまなく勉強し続けることではないんですね。そして、「学力」に関わる学習は結構苦痛が伴うものですが、やりたくないことでもおもしろく取り組める工夫や忍耐力をいかに身につけさせるか。子どもがいやでも学習意欲を高める環境づくりこそ、大人の役割なんですね。手取り足取りの指導と違うのはそこです。

 さて、若いお父さんやお母さんに私が1つ言えるとしたら、自分の時間を子どもさんにたくさんあげてほしいと思いますね。もちろん、自分がほっとする時間も大切にしないといけませんが、子育て中の数年間は。時間の長い短いではなく、親の時間をどれくらい、どのように子どもたちに割いてやれるかです。
 自分たちのために楽しい機会を創出してくれている。そんな頑張っている親をみて、子どもたちはきっと感じてくれるはずです。そして、時に、自分を見直す機会として「親の学習会」なども活用してみてください。私も前述のような子育ての中で大いに悩んだ時期があり、その時にいくつも子育て学習会に参加しました。自分を見つめ直すために。そこで私は大きく成長させてもらえたと思っています。

 私もばあばとなりまして、孫の育ちを見ながら今更に自分の子育てを振り返る毎日ですが、自分の母や父、義父母や近所の方などにいかに助けられてきたかを痛感します。初めから親業をパーフェクトにできる人はいません。親もいろいろな経験をして成長していく。だからこそ、私も地元の一員として、若い皆さんの子育てを心から応援しています。
 子どもの声がうるさいなどということもある世の中ですが、地域の皆さまには子育て奮闘中の若い方たちをいっしょに暖かく見守ってく参りましょう。埼玉で、幸手市で育つ子どもたちに幸あれ!!

 

長倉学童まつり

2017.11.23

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毎年ご招待を戴いて参加しています

 今日は午前中、長倉小学校のたんぽぽ、たいよう両学童クラブ合同のおまつりが長倉小学校にて開催され、毎年ご案内をいただいているもので、行ってきました。その様子を少しご報告。

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 長倉小学校は現在、児童数がどんどん増えていて、さらに2つの学童クラブ合同ということで、体育館の中も熱気むんむん。指導の先生初め、たくさんのお父さん、お母さん役員さんが子どもたちの活動をサポートし、楽しんでおられました。

 さて、今日のバザーの”獲物”は以下のとおり。絵本はお母さんたちもオススメでした。なかなかいい本ですよ。そして、ブレスレットは子どもたちの作。キレイにできてますよね。孫用に買いました(笑)。そして、折り紙のペガサス。小学4年生くらいの男の子が売り子で、おずおずと「折り紙いりませんか?」と。よくみるとすてきな出来栄え。「上手に折れてるねえ、これ誰が折ったの?」と聞くと、なんとその子が作者でした。苦心の跡が見えますね。私は喜んで買いました。10円也。すてきな形が崩れるといけないのでセロファンの袋をもらって大切にしまって帰ってきました。

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 また、パチンコゲームではなんと、本日初の「当たり」を出してしまいました(笑)。当たりの景品はポテトチップス。大喜びして景品をもらってきました。いやー、楽しいですね、子どもたちと触れ合うのは。

 食べ物では五目ごはんを買いましたが、保温ケースで保管してあって暖かいごはんでした。こんな配慮や気付かいって、嬉しいですよね。そのほか、バザーでは売り込み上手なお母さんもいて(笑)。いろいろ楽しんで帰宅いたしました。地域の皆さまには幸手市の子どもたちの健やか成長のために、今後ともよろしくご協力賜りますようお願い申し上げます。

 

ついにここまで来たか

2017.11.16

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宿題代行 横行に教師困惑

 11月16日日経新聞夕刊より。驚きのニュースです。ここまで来ているのかとある意味ショックを禁じ得ません。

 記事の内容ですが、子どもの宿題や自由研究などを請け負う代行業者が横行している。保護者には「宿題を外注して受験勉強に集中させたい」との思惑があるが、学校現場は「見破る方法がなく注意できない」「子どものためにならない」と戸惑う。文科省も業者の存在を認識しているが、宿題は各教師の裁量に委ねられており、介入しづらいのが実情だ、というもの。

 ある請負の女性の場合、料金の目安は、交通安全のポスター作製が1件1万5千円。作文執筆が400字につき3千円。依頼者の多くは中学受験や夏休みの短期留学で「子どもが宿題をこなす余裕がない」という保護者。もしくは子どもが内緒で電話をかけてくるケースもあるという。

 公立小学校教諭は「宿題は本来、子どもの学力向上や学習習慣をつけるためのもの。大人がやってしまえば伸びるチャンスを奪うことになり、忍耐強さも身に付かない」と語る。文科省教育課程課によると、宿題は学習指導要領に記載がなく、各教師の裁量に任されているという。同課の担当者は「宿題の意図は学校や教師によって異なる。子どもが自分で取り組むことの大切さを教師がしっかり説明して理解してもらうしかない」と話しているというのですが。

 私も「ここまで来たか」と思う反面、夏休みの自由研究で苦労した親としては「さもありなん」と思う気持ちも。

 ただ、この問題は別の角度から見ると、実は「宿題の出し方」や「宿題の意図」にも改善しなければ、あるいは工夫しなければいけない要素があるのではないかと感じます。
 中学受験をしようという子どもたちの親の必至感が伝わってくると同時に、その子どもたちが忍耐力を身に付けるのは塾であったり、留学であったり。もはや、学校の宿題ではないということを認めざるを得ない状況もあるのかなあと思ってみたり。そして、伸びるチャンスも他にある。子どもが自分で取り組むことの大切さを感じるレベルと、宿題のレベルがあっていないということはないか。学習習慣も学校の宿題以上に身に着ける場があるということではないか。これらは検証すべき要素ですね。

 学校で一律に出される宿題が彼らのやる気を向上させるモチベーションにはならないということ。私は決してこのような方法を容認しているのではありませんし、このような方法がまかり通ることを経験することは子どもの人間性に大きな影響を、しかも負の影響を与えるのではないかとの懸念を大いに感じます。

 しかし、このような子どもたちを”学校の宿題”に連れ沿わせることは不可能では。彼らは学校の宿題で伸びる必要のない子たちなのです。親も塾の宿題は代行になど任せていないはずです。ならば、もう学校に行かなければいいではないか、という過激な発想も生まれてくるかもしれませんが、やはり子どもたちにとって学校が大事なところですよね。難しいです。

 何度も申し上げますが、私はこのような保護者の選択はよいとは思いません。しかし、今、これだけ世の中が変化している中で漫然と昔と同じ宿題を出していてもダメかもしれないということです。いやー、ぼやぼやしていられない。時代は大きく変わっている。そのことを実感させられる記事でありました。もう一度申し上げます。私はこのような方法を容認はしていません。反対に、こんな選択をするなら、いっそ、やっていかないという選択の方が潔いと感じるところです(もちろん、学校の許容範囲を今は逸脱していますが…)。
 少し過激な発言となってしまいましたが、子どもたちにはウソをついて人を欺くようなことを教えたくないですね。世の中きれいごとだけでできている訳ではありませんが、それにしても、目的のためなら手段を択ばないということを経験するにはまだあまりに早過ぎます。
 さて、皆さまはいかがお考えですか。

 

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