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政治不信 高1で急増

2017.04.21

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さいたま政治意識調査(埼玉大学社会調査研究センター)調べ

 18日、埼玉新聞より(抜粋)

 埼玉大学同研究センターが「18歳選挙権」が導入された2016年7月に参院選後、さいたま市内の中学生、高校生、有権者に分けた政治意識調査を実施。その結果、政治家に対する不信は中学生計金の45%から航行2年で66%に急増し、その後、各年代で号水準で推移していることが分かった。
 スマートフォンの普及を背景に、高校生のLINE利用率は96%に達している。「LINE自体が若者にとって『社会の窓』であり、スマホに示される情報こそが、リアルな社会という現状を示唆している」と同センター長は指摘している。

 さて、まさに、先のブログでネット動画サーフィンの話しを掲載いたしましたが、私も今のテレビ情報には距離を置く立場です。7時のニュースなどはとりあえずの情報としてみたりはしますが、キャスターやコメンテーターが解説をする番組には大いに関心を失っています。新聞はいくら偏向性があるとしてもバランスよく見ることでいくらか主体的に情報を取捨選択できるアイテムだと思いますが、若者がネット情報を社会の窓として信頼する気持ちも分かります。

 ショッキングな調査結果であり、「政治家不信」という面で現状の政治家の責任は相当重いと思いますが、ただ、耳障りのよいニュースも盲信は禁物です。反対に、自分の志向性や指向性を知り、さらに配信者の偏向性などを自分で見極めないと、自らの偏狭な思考に落ち込んでしまうことには注意が必要です。動画配信には、たくさんのツイートが動画の上を流れるものもありますが、それはあくまで同調者のつぶやきであり、そこで議論は生まれません。
 議会においても、生徒会や児童会など自治においても、議論を尽くすことは重要なことです。そのために必要なものが「情報」です。

 私も情報を発信する立場にありますが、どんな情報に基づくかによって見え方は違ってくることを肝に銘じ、できる限り事実をお伝えすることに努めています。先日17日は「会派先進」のチラシを新聞折り込みいたしました。先進も同じです。会派のチラシを作成する上で、私たちは、事実をお知らせすることを第一義に、編集する記事、文言の一字一句を慎重に検討しています。
 センセーショナルな言葉よりも、真実を。また、チェック機関としての在り方を追及しながらも、良いものは良い、悪いものは悪いとお知らせするのが役割であると、常に二人で戒めています。

 「政治家の信頼度が高校1年生から急落するのは、LINEの使用頻度が増加し、政治のマイナス情報が入りやすくなることとの関連が類推される」と前述のセンター長の指摘です。選挙年齢が引き下げられたにもかかわらず、政治不信ならず、「政治家不信」が低年齢化する現状。現在、政治に携わる人は、本気で襟を質す必要あり。これこそ、為政者の責任。

 政治家が「自分ファースト」となってしまうのは”落ちたらただの人”という選挙制度の限界かもしれません。しかし、このような了見では世の政治は良くならないし、「政治家不信」を是正することはできないと考えますが、皆さまはいかがでしょう。

さて、来る23日、明後日は報告会を予定しています。様々な課題について皆さまとの意見交換ができたらと考えています。お忙しいことと存じますが、多くの皆さまのご参加をお待ち申し上げます。

考察 教育無償化で実現すべきことは

2017.03.29

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人生の選択肢の多様性を担保するしくみとして

 昨日の朝日新聞に、憲法を改正して幼児から大学までの教育を無償化するという案が改憲項目として自民党内で浮上している、との記事がありました。改憲が必要か否かという観点とは別に、教育とは何かについて、このブログで改めて考えてみたいと思います。

 まず、私は憲法や教育の専門家ではありませんので、自分の人生を通して感じた”皮膚感覚”での考察となることをお許しいただき、こんな考え方もあるという一例として読んでいただければと思います。

 朝日新聞によると、改憲による無償化を正面から主張しているのは日本維新の会で、国会でも「憲法に規定し安定した制度として実現を」と訴え、安倍首相も「傾聴に値する」と応じているということです。保護者の所得や地域などで大学進学率の格差が拡大している現実があり、改憲で無償化が実現すれば、経済的理由により進学を断念するケースは減り、多くの国民が歓迎するという計算が背景にあると。

 格差拡大の大きな原因の1つとして、欧州では教育費負担にも福祉国家的発想があるのに対し、東アジアでは学費は親が工面をするという社会的風土が強いことがあり、日本では高等教育費の家計による負担割合が5割以上と、欧州連合の公費負担約2割と比べて大きくなっているとする専門家の分析が紹介されています。

 憲法との関係では、現行憲法の26条が「すべての国民に、能力に応じてひとしく教育を受ける権利」を規定している現状、憲法を改正する必要はないとの意見もあるようです。私も改憲の是非はよく分かりませんが、しかし、憲法を変える前に、現状の”能力に応じてひとしく教育を受ける権利”について国民を巻き込んで深く考察してみる必要があるのではないかと感じます。
 ”能力”とは何か。”能力に応じる”とはどういうことか。”ひとしく”とは。そもそも”教育”とは。”ひとしく教育を受ける権利”とはどういうことか。などなど・・・。

 教育の無償化の目的として、「どんなに貧しい家庭に育っても進学できる日本」という将来像も語られているようです。確かに、幼児教育と義務教育の9年間、そして高等学校の3年間は等しく教育を受ける権利として無償化も必要ではないかと私も感じますが、「進学」が大学進学を指すのであれば、それは奨学金制度でも対応できるのではないかと思うのですが。
 確かに、一流の高等教育を受ける権利が迫害されたり、失われることは絶対にあってはならないことだと思いますし、技術革新の早さについて行くには高等教育での治験・知見の積み重ねが重要と思います。しかし、国が「教育の目的」として考えるべきは個々の「能力に応じる=能力開発」への寄与であり、最終学歴を大学卒とすることではないと思います。
 昨年、選挙年齢が18歳に下げられました。18歳は大人として扱われるようになったばかりです。私は、教育の無償化は高等学校まで。その後は自分の人生設計のなかで進学か就職かを選択をしていく。このような環境が大事ではないかと思います(ただし、いつでも誰にでも高等教育の門戸が開かれていること、社会人の学びの機会が多様に提供されていることは必須)。
 そのためには高等学校までの義務教育で一定の教養を身に着け、大学進学という選択肢以外に、日本の風土が育んできた伝統技術の伝承や日本のものづくりの多様性を支える職人集団の育成も範疇とする「機会の多様性」が高等学校卒業までの間に担保されるような教育システムが構築されるべきではないかと思うのですが。小学生や中学生、そして高校生が学校とは別に塾に通う姿や反対に基礎学力の取得に多くの労力と時間を費やしている現在の教育の在り方は今、変革の時期を迎えているのではないでしょうか。最近の「ニッポン賛美」型のTVに影響されすぎてますかね(笑)。

 しかし、日本のように四季折々の季節をめでることのできる国も世界では多くないでしょう。日本型のホスピタリティや技術が世界で賞賛されているのは事実だと思います。日本の風土を大切にできる日本人の育成が義務教育でしっかり担保され、高等学校では義務教育を基礎として本人の能力や特性にあわせた多様な専門性のある教育の機会が用意される。そして、18歳ではさらに高度な教育を受ける機会としての進学と、多様な就職の機会が用意されている。そんな未来図はいかがでしょう。

 そのために何より大事なのは最終学歴を賃金格差にしない雇用制度の確立です。私は高等学校卒業という学歴をもっと豊かに活用していくべきと考えます。大卒と高卒で初任給も、場合によっては昇給制度も、生涯賃金も違うという、「最終学歴での賃金格差」には本格的にメスを入れるべき時代になっているのでは。大学の予備校的高等学校の存在を包含するとしても、大卒と高卒の給与格差がなくなれば、もっといろいろな選択肢が広がるのではないでしょうか。

 最終学歴を大学卒とすることで、個人の持つ多様性にタガをはめてきたのが今までの教育です。先にも述べましたが、選挙年齢が18歳に下げられたことで18歳は大人として扱われるようになったばかりです。18歳を「大人」として扱うなら、18歳で人生の設計ができるくらいの知識や能力を持たせる教育を目指すべきです。
 
 今回の考察の結論としてこんなまとめと相成りました。
 ①18歳までの教育は無償化し、
 ②大学に進学する場合は奨学金制度で。
 ③最終学歴による賃金格差を解消し、人生の選択肢の多様性を担保。
 

 とにかく、これからは「多様性」です。ひとしい=平等の意味も再検証する。初めに述べましたが、「能力」「能力に応じる」「ひとしい」「ひとしい教育」とは何かを専門家を含め日本国民全体で考えていくことが必要ではないでしょうか。

 以上、私の”皮膚感覚”での発想で稚拙な考察をしてみました。いろいろな考え方があると思います。働き方改革や同一労働同一賃金を求める声も高まっています。さらに、総合学習の導入等、画一的教育からの脱皮が図られてきた教育の経緯もあります。さらに18歳選挙権付与で18歳の責任は変わりました。
 人生のセンパイである皆さまの目には、「教育の無償化」はどのように映っていますか。幼児から高等教育まですべてを無償にするならば、4兆円を超えるという財政シュミレーションだそうです。
 皆さまのお考えを是非、お聞かせいただけたらと思う次第であります。

いつも長文で申し訳ございません。

豊洲問題の核心

2017.03.22

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片山善博・慶応大教授(元鳥取県知事) 都議会の検証違いを指摘

 昨日の埼玉新聞、豊洲問題に関する記事。東京都議会の調査特別委員会(百条委員会)の様子を伝えるとともに2名の識者の話が載っていました。

 1名は政治評論家の森田実氏で「オール無責任体制」を指摘
 石原慎太郎氏に関しては、自身を正当化し小池百合子知事に責任を転嫁した。小池知事は今後の方針を曖昧にし、都議選や住民投票で都民に判断させようとしているようにも見えるが、小池知事と、移転問題に関わってきた議会は、自ら泥をかぶって移転の是非を判断すべきだ。百条員会を通じて、都幹部も含めて都政はオール無責任体勢であることがにじみ出たとも言える、と。

 もう1名の片山氏。
 本来は豊洲移転の予算を認める際など手順を踏む段階で、都議会がきちんと検証すべき問題で、今になって百条委員会を開いても遅すぎる。都政を掌握していなかった石原氏を見逃してきた都議会がまず自問し、反省すべきだ。石原氏を刑事被告人扱いするのは間違い。追及に意味があるとすれば、豊洲が使えないという結果になった場合だが、最も責任が重いのは都議会ではないか、と。

 さらに、石原氏は小池知事に対し、「豊洲移転の延期を、議会にも諮らずに発表した。これが議会としてのメンツの問題があり、議会軽視の最たるものだ」と批判の矛先を向けたというのですが、メンツの問題ではなく、このような大きな案件を知事の一言で方向転換するという事自体が無謀だったのでは。
 ネズミ退治と称された都政改革を公約とされていた小池氏ですが、都知事選の勝利で万能感もあったのかなとの感想を持ちます。さらに、巷には次期都議選をにらんでのパフォーマンスとの受け止めもあるようですが、真実はいかに。政治は実現してなんぼかもしれませんが、「自分ファースト」な政治家を見極めるのは選挙民です。
 都民の皆さまには、政治の”パフォーマー”のなかの真実を見極めていただきたい。”寄らば大樹の陰”というサーファーにも要注意。真面目な政治家ほど、パフォーマンスやサーフはうまくないかもしれません。7月の都議選で都民の皆さまの選球眼が試されます。

 さて、幸手市に目を転じれば、前回ブログでお伝えしている「議員の報酬、市長等の給与改定」の例も然りです。
 監査委員の指摘⇒市長の諮問⇒審議会の答申⇒市長の議案上程⇒議会の議決という経緯の中で、それぞれの立場での判断は重要ポイントですが、最終的に議決をするのは議員であり議会です。どこにも責任転嫁はできません。


 

豊洲問題

2017.03.12

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豊洲問題 追筆

 やはり、新聞の後読みでは時事についていけませんね。さらに、3月に入って、一般質問始め、質疑などのまとめをしていた関係であまりテレビも視聴することがなく過ごしておりましたら、豊洲問題はすでに都議会による百条委員会が設置され、東京ガスや副知事、市場長など、当時の関係者を証人とする委員会の尋問の全容がTouTubeにもアップされていて。3/7のブログで少し取り上げましたが、遅ればせながら今朝、その一部を視聴しましたので、その範囲ではありますが追筆したいと思います。

 自治体の仕事は、そのほとんどが条例や法令に基づいた許認可や契約行為です。様々な交渉過程を経たとしても、最終的に法令や条例を根拠としない仕事はほとんどないということであります。それは経営体であればどこも同じであろうと思います。もし、法令に基づかない仕事があれば告訴や訴訟の対象となりますから、どんな場合も必ず、法的根拠は「ある」のです。

 私が視聴した証人尋問は東京ガスが最終的に東京都と結んだ土地売買契約の瑕疵責任除外条項が問われていました。東京ガスの証人からは、瑕疵責任除外は”経緯”であり、売買契約前に国の法令に従った土壌汚染対策費に102億円投入。その後、都が市場としての利用に向けて独自調査をしたところ、さらに土壌汚染対策費用が必要となったということから支出要請があった。当時、東京ガスは国の土壌汚染に関する法令に基づいた処理を終了しており、都の要請は東京ガスとしては法的責任の範囲外ではあるが、市場の公共性も考慮し、さらに78億円という少なからぬ額を都の要請に従って支出した。売買契約では、そのような経緯を以って、土壌汚染に対しての瑕疵はこれ以上問わないとする条項が盛り込まれた、との認識が示されていました。

 この経緯を聞く限り、東京ガスが都との契約でこれ以上瑕疵責任を盛り込むことはできないと判断したのは理解の範疇であり、都も、法的責任以上の支出として78億円を拠出させた経緯の中で、これ以上土壌汚染の瑕疵は問えないと判断した。これも理解の範疇と言えるのではないかと感じます。ここで残るのは売買金額の正当性ということになるのでしょうか。根拠のない地価での取引価格算定は不可かなとは思いますが、土地の評価を巡っては「都知事の安全宣言」の果たした役割が問われそうです。

 さて、豊洲移転は知事就任時の既成路線だったとする石原元知事の発言に対しては、当時の市場長と認識の相違があるようですが、この問題にどのように決着がつけられるのか。新事実は出てくるのか。百条委員会を設置した都議会の力量も問われますね。
 さらに大阪での国有地の売却問題なども浮上する中で、最終的な意思決定者だけでなく、関係者の果たした役割が解明される必要性を強く感じます。

 許認可は公務員の最大の仕事です。自治の根幹は契約や許認可の公正な運用にかかっています。幸手市でも同様であり、情報格差、多大な首長裁量に対していかに議会のチェックが届くか。これが「住みよい、住みたい自治体」の条件であることを肝に銘じ、私も市民の皆さまに説明責任の果たせる議員活動に努めてまいりたいと改めて考えているところです。

 日々、政治や行政を巡っていろいろなことが起きています。それを他山の石とせず、常に勉強材料として分析等に努めることが肝要と考えています。それには、専門的知識などをお持ちな皆さまのご協力、ご助言が不可欠です。これまでもいろいろなことに様々な立場でのご助言を頂戴して参りましたが、皆さまには今後とも是非ご教示のほど心よりお願い申し上げます。

思い付き&浅知恵ですがカジノよりいい?

2017.01.30

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今を好機と捉えれば

 先ほどのブログ、AI時代の到来に暗い気持ちになった方、明るい気持ちになった方、様々いらっしゃると思いますが、今日の同じく日経新聞にトランプ大統領の科学認識への疑問が広がっているとの記事が載っていたので、2連発で取り上げてみたいと思います。

 現実味薄く、証拠を無視。研究公表も政治的レビューなく発表はできないなどなど。これまで米国が最大の武器としてきた「自由」や「多様性」を放棄するが如きことが進んでいる。新聞からはそのような状況が読み取れます。

 これって、日本にとって「好機」到来…?
 この記事を読んで浅知恵ながら考えました。米国の今後に窮屈さを感じる科学者や研究者を日本に招へいして、シリコンバレー並みの新しい「知の一大基地」を作る。今、海外の日本ファンが増えている状況もあり。これまでの東京・京都観光だけではなく、地方にも観光客が押し寄せ、民泊や体験型スティ、食文化など日本を楽しむ方が増えているのです。日本ブランドが急速に理解されつつある中、観光からもう一歩進めて、世界の知を集積するまちづくりで移住を促進。日本の中小都市でゆったりと研究に没頭し、日本の食や温泉、自然や伝統的価値を堪能してもらう。今はインターネット環境も整い、ビジネスでも研究でも地方の中小都市にいながらできることも増えています。「狭い日本、そんなに急いてどこへ行く」とのチャッチがあったころよりさらに交通網も充実し、国内の移動は超便利になっています。工夫次第で地方にも勝機があるのでは。
 東京の独り勝ち阻止にもなるでしょう。東京の財政力に頼ったり、政府の行政機関を東京から引っぺがす発想より、”知の一大基地づくり”の方がはるかに面白いのではと思いますが。さらに、職人技が支える日本のモノづくりや地方都市の産業などとの親和性も高いのではと思いますがいかがでしょう。もちろん、それに耐えうる仕組みの構築は必要です。それこそ「コミュニケーション力」が今まで以上に必要になってくるかもしれません。大変だが挑戦したり考える価値はあるのでは。カジノよりいいでしょう。
 国際的な研究機関があって企業があって、その方たちに地元で楽しい日本ライフを提供できるとしたらどうでしょう。日本人の「おもてなし気質」との相性も抜群。しかし集積するのはあくまで最先端の”知”です。大量生産ではなく、小さな先端技術の開発を進める。知の質の確保は命題。ただし、日本の国民や地元の人材育成もそれを睨んで進めていかなければなりません。ここはちゃんとやらないと。でも、目標ができれば人は動けるものです。 
 では、翻って。今の幸手市で何ができると言われれば、今はまだ???ですが、これにはある程度の広域的視点が必要です。幸手市の財政規模で単独は無理です。群雄割拠の地方自治体を誰が束ねるか。規模は県以下、市以上。幾つかの市町村が関わることで多様性を確保。合併はしない。先見性を持ち合わせたリーダーたちのいる地域が有利。日本全体で幾つもチャンスがあるわけではない。私利私欲だけではできない大仕事です。日本のこれからの国づくりの1つの方向性として思いつきました。ご意見やご感想がありましたら是非、お聞かせください。

荒唐無稽とおっしゃるなかれ。夢は夢として、荒唐無稽な発想も楽しみましょう!見える風景も違ってくると思いませんか(笑)
 
 

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