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いよいよ、解散総選挙に突入です
昨日、党首討論で、ついに野田首相が「16日解散・12月16日選挙」を口に。いつも勇ましい口調の野田さんですが、何かこういつも通り、お膝元の自党(民主党)内の議論が尽くされていない違和感はありますよね。
そして、民主党が前回の選挙で「2大政党制」を目指して打って出た「マニュフェスト選挙」。民主党自らが土を付けた感があり、再度「マニフェスト」と言われても・・・、という感じが否めません。
今回の選挙では2大政党どころか、16もの政党が名を連ねるということになりそうです。「民主党がまとまらないのは、内部に様々な分子を内在したことが大きかった」と言われている中、今回、石原氏がおっしゃるような「小政党が小異を捨て大同につく」ことは選挙後の政治の安定を約束するものなのか。「1回やらせてくれ」はやめようと言う政治評論家もあります。
16もの政党がひしめくこの状況で、国民はどのような選択ができるのでしょうね。
結局、日本では「小田原評定」に代表されるように、また、西洋でも「円卓会議」という手法があるように、難局に、合議を尽くすことで立ち向かったという歴史を考えると、政治や統治において、「様々な差異はあって当たり前だが、とことん議論を尽くして決まったことには従う」というルールが必要だと思います。
しかし確かに、忙しい現代人には、いつまでも議論をしている時間は与えられていません。が、今のように赤か白を2分割で考える統治では、いつも「振りだし」に戻ってしまう危険性を排除できません。
しかしながら、現実論として、政治は「解散・総選挙」という決断をしました。国民に向かって「選んでください」という”球”が投げられたわけです。16もの政党の違いをどうやって国民に知らしめるのか。問題はココですよね。
「勝手勝手な言い分のマニフェスト」ではなく、国民が選べる基準として、国の基本的な政策は統一した「軸」で列挙し、「○○に対する政策はこうする」と政策の違いを示していただきたいと思います。
選挙に期待は必要です。しかし、気分や感情や「風」で議員を決めるのはやめなければなりません。「政局、政局」と言われますが、政治を「政局」にしないためにも、前の選挙以上の混乱を起こさない国民の「投票行動」が求められていると、そんな気がしています。皆さん、投票は国民に与えられた権利です。是非、投票にお出かけくださいますようお願いいたします。