![]()
宇和田公園の建設経緯について
毎日慌ただしく過ごしております。議会が終れば広報委員として市議会だよりの作成に関わるほか、議会と議会の間の期間は、幸手市を巡る様々な課題の研究や資料集めや、市民の皆さまから直接お話しを聞く機会を持つなど活動に勤しんでおります。最近はいろいろな方にお声掛けをいただく機会が増え、勉強が追いつかないくらいです。
さて、そのような日々の活動の中で、最近の関心事の1つが「宇和田公園」です。皆さまは幸手市の北東にある宇和田公園をご存知でしょうか。
権現堂桜堤から続く土手の東端、ひばりヶ丘工業団地や総合公園を抜けた先にあります。市制5周年には「幸手八景」の1つに選ばれた公園で、大正から昭和にかけて活躍した「近代公園の父」本多静六博士が設計したとされる由緒ある公園です。
本多静六氏は林学博士で、大正から昭和にかけて、東京の日比谷公園、明治神宮を始め、全国200カ所にも及ぶ公園の設計を手掛けた方です。菖蒲町(現久喜市)に生家があり、母堂の出身が幸手だった縁があって、幸手の地にも公園が建設されたとされているのですが、資料等が保存されておらず、なかなか調べがつきません。
どのような時期か、県から市に移管されたという経緯があるようなのですが、もし、宇和田公園について詳しくご存知の方がいらっしゃいましたら、是非、ご教示くださいませ。特に、当時の設計図について調べています。
本多博士の作る公園には明治神宮の杜に代表されるように、一種の精神性と植栽樹木などに特徴があるようです。管理するにも保存するにも、更に活用するにも、まずは元の設計図がどうなっているのかを知る必要があります。宇和妥田公園は幸手市にとって貴重な財産です。
将来に亘って大切にしていくためにも、今、資料を整理しておく必要があります。もし、ご存知な方がいらっしゃいましたら是非ご教示いただきたく、ご連絡よろしくお願いいたします。