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れんげプロジェクト

2020.10.30

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秋晴れの青い青い空のもと 種まき完了

近隣の農家さんに田んぼを借りての"素人集団"によるれんげプロジェクト。雨の後の耕運の遅れで延びていた種まきが、昨日、気持ちの良い秋晴れのもと完了。農家さんに綺麗に整地してもらって至れり尽せりの田んぼだからできた。感謝。農家さんのアイデアとご好意で田んぼの真ん中にお散歩の人が通り抜けできる通路も作りました。看板も立てました。
それにしてもれんげの種は小さな種。広い田んぼにムラなく蒔くのはムツカシカッタ?。でも作業はタノシカッタ?。作業完了後のお茶がオイシカッタ?

♥果たしてどんな風に咲くか。来春を乞う、ご期待??

プロの仕事で保つ地域

2020.10.21

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れんげの種播き 来週に延期

先のブログでお伝えしていたれんげの種播き。朝から準備を持って有志と集合するも、先日の雨で土壌のコンディションが悪く、種播きは来週に延期することに。

ひとまず有志メンバーと現地を見に行きました。広い広い田んぼが綺麗に整地され草はチョロチョロ。素人目にはこのままでも問題なさそうに見えますが、田んぼの持ち主曰く、先の雨で耕運の機会を逃した。今年最後の耕運をしてからだと。

やっぱり農家の人はプロだなあと思います。性分もあるかも知れませんが、何よりご本人の"美意識"と習慣がチョロ草をそのままにしての播種を許さない。
農家の人たちは自然相手に1年間、コメや野菜を作ったり、農地の草を管理したりされているわけですが、田舎の自然はこうした"プロ"の努力と美意識で保たれていることを改めて感じた次第です。リスペクトですね。

♥さて、来週を過ぎると関東地方でのれんげ幡種の播きどきを失してしまいます。来週は仕切り直して必ず播きますぞ。

75年目の夏

2020.08.16

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第2次世界大戦 終戦から75年

暑い日が続いています。昨日は、先の大戦の終戦の日から75年目の全国戦没者追悼式が挙行されました。

総務省の人口推計によると、戦後生まれの人口が戦前生まれの人口を上回ったのは76年。2014年には8割を超え、幸せなことに、日本では戦争を知らない世代が3世代に。戦争は「記憶」から「歴史」への変わりつつあると日経新聞。体験者の高齢化も進む中、戦争の惨禍を次代に伝えていく取り組みが重要になっています。

私の母方の祖父はシベリア抑留の経験者ですが、戦争の「記憶」は何も話さず他界しました。私は、2008年から小学校で戦争体験者に体験を語っていただく活動を続けていますが、多くの方の体験を文章化する作業では、「記憶」の重さにお話を拒まれる方もありました。60年以上が過ぎていてもです。私の母や父の体験も聴きました。戦中派として青春時代を過ごした方々の経験は一つとして同じものはありません。体験者の数だけ戦争体験あり。「戦争」は一括りに語ることはできません。

さて、疎開の経験をした人、日本の多くの都市が焦土と化した空襲を経験した人、予科練に志願した人、当時7歳という年齢で着の身着のまま満州から引き揚げてきた人、日中戦争で中国で従軍した方のお話も書き留めましたが、共通しているのは「空腹」や「言論統制」の中を生き延びる苦労です。私の活動の中では、原爆や沖縄戦の経験者はおられませんでしたが、空襲を受け焼け野原を彷徨った時、死体を見ても悲しみを感じず人としての感情を失っていたとお話しされていたのが印象的でした。

戦後75年。すでに小学生の祖父母も戦争を知らない世代となりました。しかし、その体験を風化させるわけにはいきません。
「記憶」から「歴史」に変わりつつある先人の体験をどう伝えていくのか。私たちの課題です。私たちは体験から何を学ぶべきか。なぜ、あのようなことが起きたのか。戦争を回避する手立てはあったのか。連綿と繋がる「歴史」のいつ、どこに、どんな転換点があったのか…。問い続けることで、現在の混沌とした世界の無秩序に呑み込まれることなく国際社会を生きる術も見えてくるでしょう。

♥戦争は繰り返してはいけません。
協調と主張のバランスを保ち賢く生きていくために大戦を風化させない。
強い決意を新たに、先人のご苦労に感謝と、英霊の御霊に黙祷

暑い中にも

2020.08.13

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盆になると風が変わる

毎日暑い日が続いていますが、皆さまにはお変わりございませんか。

連日の茹だるようなジリジリとした暑さにエアコンは回りっぱなし。そんな暑さに一昨日あたりから変化が。風が変わってきましたように思うのですがいかがでしょう。昔から、「お盆になると風が変わる」と言われますが、昨日の夕方は比較的凌ぎ易く、昨夜は朝方にエアコンを切りましたが扇風機のみでも暑さを感じずに眠ることができました。なんとか猛暑を乗り切れたことに安堵感すら感じます。

さて、昨日、さくらファームに行って来ました。もう、新米が出ていました。東北地方のお米でした。幸手でも稲の穂が実ってきましたね。毎年8月の終わり頃から稲刈りが始まりますので1ヶ月後には店頭に新米が並ぶことでしょう。季節の恵み。美味しい幸手のお米はふるさと納税の返礼品でも人気です。むっちりとした食感。私もファンです。待ち遠しいですね。

♥ これからもまだまだ暑い日は続きますので注意は必要ですが、確かに季節は秋に向かっています。今度は「暑さ寒さも彼岸まで」。こんな言葉を胸に後1ヶ月、頑張って行きましょう。

真に平和な社会を目指して

2020.08.07

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広島 75回目「原爆の日」平和記念式典に想う ?大切にしたい言葉?

昨日は、先の大戦での原爆投下から75回目となる「原爆の日」を迎え、広島では平和記念式典が営まれました。今年は新型コロナ対策で参列者が限定され、幸手市でも毎年恒例の中学生の広島派遣事業は中止となりましたが、平和への祈りは尽きません。

世界を見ると、蔓延る自国中心主義と、世界を襲う自然災害が頻発し、さらに1年前には予想だにしなかったコロナ感染症の拡大で世界経済は麻痺状態と化しています。自国中心、自国優先主義は今に始まったものではなく、遡れば、近代まで、主役は変われど常に強国が支配してきた覇権と搾取(植民地化)の歴史が続いてきました。日本も明治維新で国を開いてから、その恩恵を受けるべく突き進んできましたが、近年の行き過ぎた経済一辺倒、グローバル化で失ったものも大きい。

私もおばあちゃん世代となり、孫世代の行く末を案じる歳となったからでしょうか。自分の来し方を振り返ることが多くなりました。先日、日本人として生きてきて、今こそ大切にしたい言葉に気づきました。例えば、「お陰様」「お互い様」「お世話様」「お疲れ様」「ご馳走様」…。平和というか、安寧というか。お互いをリスペクトし感謝する気持ちが溢れています。このような言葉が継承されてきたことに、日本人として、誇りを感じます。

残念ながら、幸手市にとって、ほろ苦い歴史の1ページとなってしまった昨年の同日。ご本人にも言い訳はあるかもしれませんが、心に前述の言葉のひとかけらでもあれば、あのような行動はとられなかったのではと本当に残念です。あれから1年。世界の混沌は拍車がかかり、自然も国際政治もタガが外れたかの日々が続いてきました。世界を救うのは「お互い様」という感覚です。

平和は祈るだけでは訪れません。自分の中に染み込んだ言葉や感覚を大切にし、日々小さな「お互いさま」を実践していく。真に平和な社会を孫世代に残すためには日々実践あるのみです。そんな決意を新たにした昨日でした。

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