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国家戦略特区 ~養父市の挑戦~
11月11日、12日の2日間をかけて、幸手市議会3常任委員会合同行政視察に行って参りました。2日目の養父市について報告をしたいと思います。
宿泊先の姫路からバスで養父市に向かいました。特区に関する概要(日経新聞)は先日、7日のブログで取り上げましたが、市役所がある場所は養父市の中でも平坦な地形で、お知らせしたような「棚田」の風景は観ることができませんでした。
役所に到着すると、養父市議会議長様、産業環境部長様、産業環境農林振興課主幹様、企画総務部企画政策課主幹様、議会事務局様にお出迎えいただき、特区の説明を受けました。
特区は全国6地区(関東圏、関西圏、新潟市、養父市、福岡市、沖縄県)で進められています。そのうち、新潟市と養父市が農業特区で、新潟市は大規模・東アジアへの輸出の拠点として、養父市は中山間地農業の活性化のモデルとして、平成25年6月に特区提案をし、今年5月に特区指定を受け、9月9日に「区域計画第1号」の認定を受けたということでした。
「国家戦略特区」は国が規制改革をすすめ、自治体がモデル地域になり、民間事業者が経済活動を実践するという役割分担で進められます。国からの補助金や交付金はなく、特区に係る特例措置の適用として金融支援(ベンチャー企業への貸付けの利子補給)や税制支援(法人税or特例償還)などを活用しながら、規制緩和を主軸に「民間が活動しやすい環境づくり」を支援・推進するのが自治体の役割です。
養父市の「規制改革の初期メニュー」としては
①農地流動化の促進のために⇒農業委員会と市の事務分担の移行
②6次産業化の促進のために⇒農業生産法人の要件緩和
③6次産業化の促進のために⇒農家レストランの農用地区内設置容認
④資金調達の円滑化のために⇒農業への信用保証制度の適用
⑤地域活性化のために⇒歴史的建築物に関する旅館業法の特例
などがメニュー化され、事業の進捗の中で規制改革が間に合わない事態には更に規制緩和や改革を国に申請していくということになるようです。特区の期間は2年。かなりハードな事業推進ですが、壁にぶつかってもあきらめず、市をあげて取り組んでいくとのことでした。
養父市が特区を通して目指す「最終形」とは。
やはり定住人口の確保です。養父市が特区に取り組む背景となったのは、過疎化が止まらない人口減少と増々高まる高齢化率、耕作放棄などによる耕地面積の激減、総農家数大幅減などに歯止めをかけ、「地域の新たな生命を生むまち・学びと交流と居住のまち」としての再生を期してのこと。
現在、民間活力として、全国区で名の知れた企業やベンチャー企業などが「新しい農業の担い手」として参入の意欲を見せていますし、先駆的な事業では地元雇用も生まれているとか。養父市では「農業はジリ貧状態。どこまで伸びるか」との素直な感想を抱きつつも、これからの農業の見通しについて、「農業特区に指定されたことで環境が整いつつある。まだ緒に就いたところで検証は先になるが、この絶好の機会を生かし、多様な担い手が本市で農業を営み、農業・農村の活性化が図られることを将来像として期待している」としています。
最後に質疑応答の時間がありました。
私は、京都南部の山裾の棚田を耕作している身内がいることから、棚田は身近な原風景です。全国では「中山間地の農業の活性化」で苦しんでいる地域も多く、養父市のモデル事業の成功でそのような自治体を勇気づけてほしいとエールを贈り、3つの質問(棚田の価値の保全・活用の将来展望について、参入企業の事業提案概要、森林資源を活用した地域資源循環型農業について)をさせていただきました。
養父市は市の84%が森林という地域です。今回の行政視察がそのまま幸手市に当てはまるということはないかも知れませんが、「新しい農業の担い手の育成」や「民間企業からの提案を実現させる方法論や役割分担の考え方」などは、参考にできるものと感じました。
難しいことは百も承知、覚悟を持って取り組んでいくためにまずは「まちの将来像=ビジョン」をどう描けるか。これが最大の課題であり、スタートであり、この覚悟の無いところに新しい発想は生まれません。
そんなことを再認識、痛感する行政視察でした。
♥写真が思うようにアップできず。後日新ためて掲載いたします。